テレビのコメンテーターが決まりごとのように言う。
「イスラム国とイスラム教は全然関係ない。
そこを一緒にしたらイスラム教徒に対する差別が起きる」
いい人に見られたい者の、偽善的な常套句だ。
いい人に見られたい者が道徳的だとは絶対に言えない。
単なる処世術の使い手は、テレビのコメンテーターには
向いているが、重要な問題点をはぐらかす偽善的な
言葉を吐き散らす。
悪い人に見られても、正しいことを言う者の方が
道徳的なことだってあるのだ。
そういう意味では、わしは常に悪い人に見られる損な
役回りを引き受けているから、極めて道徳的である。
損得を一切考えないからこそ、わしは道徳家だと言える。
イスラム国とイスラム教には接点がないのか?
欧米諸国は「文明の衝突」を恐れ、キリスト教と
イスラム教の戦いになることを防ぎたいのだろう。
十字軍と言われるのが嫌なのだろう。
だが、わしは違和感を覚える。
欧米の植民地支配と戦うのは、イスラム教では
「ジハード」のはずである。
だからこそイスラム教徒がイスラム国に洗脳されるのだ。
フランスで3人の少女がイスラム国に入ったという。
この3人もイスラム教徒である。
イスラム教徒だからこそ、イスラム国の理屈がわかるのだ。
接点がないはずがない。